【西園寺憲法基本概念構想】 自由、平等、友愛について

  • すでに現世に存在する「現実」、現実の日常、自分の現状、これらに対して不満や違和感を感じる者、およびさらなる幸福の追求、新しい日常への興味、そのほかについて対象者のために新しい世界観を示す。

 

【自由と平等と友愛に関する問題意識】

  • 現状、多くの人に自由はあるのか?経済的奴隷ではないのか?
  • 人々に、幸福のための同等の権利は用意されているだろうか?
  • 同じ志を持って友愛精神を持てるコミュニティが存在するであろうか?

 

【自由】について

机上の空論ではない自由を実現するために、現体制下で考えうる最も合理的な手段は自ら生産手段を持つこと、すなわち「起業」である。

特に、人々の職域を奪っていったテクノロジーや、構造改革を逆手に取り、

  • 経済的自由
  • 時間的自由
  • 人間関係の自由
  • 精神的自由
  • 場所的自由

を勝ち取る。

ある意味、自由というのは、相対的な概念であり、人それぞれ度合いが違う。見方を変えれば勝者の権利でもあるので、この点はある程度、競争社会の中で勝ち抜いて優越していかなければ手に入らない。

 

【平等】について

現在、世の中に出回っている「平等」を示す諸制度、たとえば、

  • 受験
  • 学校教育体系
  • 世の中に影響を与える学術界における権威のシステム

などは、実際には平等を謳っておきながら一部の勢力や層にとって有利なものとなっている。日本では階級の固定化や格差が広がっている。

自由を圧迫され、機会や権利の平等が与えられていない。

簡単に言うと、出自が悪ければ、ほとんど高確率で社会経済的な成功という意味で、良い未来は待っていない。

現状、どんな状況にあるものに対しても、機会の均等を開き、人生逆転コースを示すことは極めて重要である。

 

【友愛】について

本来、友情の感情、愛情の感情は自然なものである。ところが、現体制化における力のメカニズムによって、「お金がある人がモテる」「権力がある人がモテる」「あの人と繋がっておくと良いことがあるから繋がっておこう」「人脈を大事にしよう」などといった動機が生まれている。

人間的な本来の感情は無視されている。また、上層の人間ばかりがネットワークを広げて、そのネットワークを活用して美味しい思いをしているのも事実である。

社会経済的な成功が無いと、

  • 友情
  • 愛情

が得られないというのが深刻な問題であり、貧困家庭の人、ドロップアウトしてしまった人、ニートの人、SNEPの人、薄給の人、社会経済的にパッとしない人は、この友愛の観点から欠乏感、虚無感、寂しさを抱えている。

社会を元気にしたいとか、チャレンジングにしたいとか、そういうことを考えるのであれば、まず、現状何も無い人や、高いところに進みたいと思っている人たちが友愛の精神の観点から、心理的な栄養補給を得られることが重要である。

この点で、自己啓発は侮れないし、最近の自己啓発批判風潮は危険である。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。